平成20年度 第61回 弦月同窓会入会式、 平成21年2月28日に実施 会長あいさつ

平成20年度 第61回 弦月同窓会入会式、 平成21年2月28日に実施 会長あいさつ

同窓会入会式 会長あいさつ              平成21年2月28日(土)
3年生の皆さん,いよいよ明日は卒業式ですね。一日早くお祝いを申し上げます。ご卒業おめでとうございます。こうして壇上から3年生の皆様を拝見しますと,まだ何か卒業という実感が湧いていないように私は感じます。それはそのはずだと思います。今日は,まだ皆さんは在校生であります。一夜明けて,明日はいよいよ卒業生になります。皆さんの胸中には,大宮高校の3年間の学園生活の思い出が交錯し,感慨ひとしおではないかと思います。弦月同窓会は,心をこめて本日の皆様の大宮高校弦月同窓会へのご入会を歓迎いたします。おめでとうございます。
さて,昨年は120周年の年でありました。盛大な記念式典が催され,また祝賀パーティも開かれました。第12回卒業生の北海道大学総長の佐伯浩さんが来校されて,記念講演を行われました。そして,年明けて早々,第6回卒の川﨑重工会長の田﨑雅元さんも,講演に来てくださいました。残念ながら3年生の皆さんは聞くことができなかったわけでありましたけれども,1年生と2年生の皆さんには聞いていただきました。大宮高校は,120年前の創立の時代からですね,この講演会というものを非常に大事にしてきました。よく,いろんな分野の方を学校に招いては,講演会を開いておりました。これは伝統的な行事でもありました。古いお話になりますけども,記録をめくってみますと,明治40年,1906年でありますけども,103年前ですね,時の外務大臣,小村寿太郎が講演に来ております。ちょうど日露戦争が終わって,ポーツマス条約が締結されたその直後に,この大宮高校に来ております。小村寿太郎は日南市出身の外交官でありますが,里帰りのついでに大宮高校で講演されました。戦後は,中曽根康弘総理大臣も見えました。また,ベルリンオリンピックのマラソンで,世界中を湧かせた宮中先輩の村社耕平選手も講演してくださいました。皇室も度々お見えになっております。皇室でありますから,講演はされません。しかし,在校生徒の授業とか体育を,昔は天覧と言いましたけれども,ご視察なさいました。大正天皇も昭和天皇も,そして今の天皇も皇太子の時代に美智子妃殿下共々にご来校になっております。全国にですね,高校が5400校余あります。しかしこんなにですね,立派なすばらしい方々が来校された学校というのは非常に少ないですね。それにしましても,今更のように,私たちは大宮高校の歴史と伝統の重みを痛感せずにはいられません。
さて話は最初に戻りますけれども,今年講演していただいた田﨑雅元さんは,川崎重工の会長さんというのは,先ほど申し上げましたが,川崎重工と言えばですね,電車,船舶,航空機,人工衛星まで作っている会社ですね。世界に誇る日本の大企業であります。そんな大会社の会長さんとは思えない,非常に気さくな,ざっくばらんな方で,講演の時に皆さんお気づきのことと思いますけれども,少しも気取らず,極当たり前に,スライドなどを使ってわかりやすく,いろんないいお話をしてださいました。私は最後に田﨑さんが皆さんに呼びかけられた「好奇心を持て」,「雑学を勉強しろ」,と言われた言葉がですね,非常に印象に残りました。この田﨑雅元さんは大宮高校時代にですね,自動車の免許を取ったということで有名ですけれども,戦後8年頃のことでありますから,高校生で自動車の免許を取るというのは当時非常にめずらしかった。ご本人が大変好奇心の旺盛な方,そして科学というものに強い興味をもっておられた方。それで今はあの川崎重工の社長となり,会長となられることにつながって行ったんじゃないかと,私はそう思います。田﨑さんは自分のことは何にも言われなかったですね,講演の時。会社のことは少し言われましたけれども,自分のことには何もふれられない。しかしこれからの話は,皆さんにぜひ今話しておきたいと思い,田﨑さんのエピソードを少し語らしていただきたいと思います。田﨑さんは,今中国の東北省,昔は満州でしたが,そのハルピンという都市で生まれました。そしてそこで敗戦をむかえました。昭和20年のことであります。満州にいた日本人はみんな引き揚げてきたんですね。田﨑さんの家は両親と子供が2人,田﨑さんに弟さんがいて,港のある大連まで来たんです。船に乗る前にですね,両親と離ればなれになってしまったんです。両親は船に乗ったけれど,子供2人は乗ってこない。それで離ればなれになったんですね。両親はどんなに心配されただろうと思います。後髪を引かれる思いで日本に帰られた。その時ですね,田﨑さんはわずかに10歳なんですね。小学校の4年。弟の高伸さん,いま宮崎市内で病院の院長をしておられますけども,7歳ですね。小学校1年です。10歳と7歳の男の子が2人ですよ。親は先に船に乗ってそのまま日本に帰ってしまわれた。その後が大変です。苦労されたんですね。とても言葉に現されないくらい。こないだ弟の高伸さんに聞きましたら,「兄貴は10歳だったけど,大人のようだった。どこからか味噌を仕入れてきては,日本人の町を一軒一軒回ってその味噌を売って,そしてそれで,自分は養ってもらった。時には,兄貴と一緒に繁華街でゴザをひいて,売ったこともある。」こう語っておられました。それから1年7ケ月ようやく順番が来て,引き揚げ船に乗せてもらって日本の佐世保港に向かったのが,いま申しましたように,1年7ヶ月後の昭和22年3月23日のことでありました。皆さん,考えてみてください。わずかに10歳と7歳の少年がですよ,親と離ればなれになって,しかも異国の地で,自分で暮らしを立ててですね,日本に帰って来るということが,どんなに大変なことか。小さな子供ですよ。その苦しみ,悲しみ,寂しさ,想像しただけでも涙が出てきます。しかしそれは本当の話,先日講演していただいた田﨑雅元さんの60年前のお話であります。雅元少年は毎日ですね,弟に「お前を必ず日本に連れて帰るからな。」と,何回も言葉をかけて励ましてくれたそうです。弟は弟で「兄さん,僕だけ置いていかないでね,必ず連れて帰ってね」と,これまた何回も言葉をかけていたそうです。そのことがあったからですね,1年7ヶ月,何とか異国の地で,兄弟でですね,生活することができたと,弟さんから聞きました。何にもない,着の身,着のままの生活,2人で1年7ヶ月,異国の地で暮らした。その支えとなったのは,2人の言葉の励ましあいだったということであります。
皆さん,今日は最後に,はなむけの言葉を贈りたい。それはですね,今のお話ではありませんけれども,ぜひ,どうか,お互いに言葉をかけあい言葉を大切にする人になっていただきたい,ということであります。まわりの人たちに,両親に,兄弟に,祖父母に,あるいは友達に,近所の人に,先輩に,後輩に,いや日本中の人に,世界中の人に,優しい言葉をかけられる人になってもらいたいと思います。人を勇気づける,元気づける,そんな言葉が使える人になっていただきたいと思います。アメリカ初の黒人大統領,オバマの勝利は言葉の力だと言われていますね。言葉がオバマを勝たした。こうそれぞれの人がオバマのchange,その一言にですね,アメリカの国民は奮い立ったわけであります。今日,弦月同窓会に入会していただいた394名の皆さん,皆さんの未来を同窓会は心から祝福いたします。と同時に,どうぞ,只今申し上げました,言葉を大切にする人になっていただきたいということをお願いいたしまして,私のお祝いのことばといたします。今日はご入会,誠にありがとうございます。おめでとうございます。


category:同窓会関連 2009.04.09(木)