明治21年 | 宮崎県会 尋常中学校設置を決議 |
明治22年 | 77名入学 (大日本帝国憲法発布) |
明治32年 | 宮崎県宮崎中学校と改称 宮崎県高等女学校設置 |
明治34年 | 宮崎県立宮崎中学校と改称 |
大正7年 | 宮崎県立宮崎高等女学校と改称 |
昭和10年 | 昭和天皇行幸 |
昭和23年 | 学制改革 宮崎県立宮崎大宮高等学校発足 |
昭和25年 | 校歌制定(作詞:長嶺 宏 作曲:園山民平) |
昭和28年 | 家庭科に被服課程と家庭課程の2コースを設置 |
昭和32年 | 県立宮崎商業高校の新設で商業科第一学年の募集停止 第39回甲子園大会出場(初戦突破、2回戦で埼玉大宮高校と対戦) |
昭和33年 | 創立70周年記念式 |
昭和35年 | 体育館落成式・祝賀会 |
昭和37年 | 補習教室開設 |
昭和39年 | 50m公認プール竣工 本館竣工 |
昭和42年 | 第49回甲子園大会出場 |
昭和43年 | 創立80周年記念式 |
昭和44年 | 図書館竣工 宮崎大宮第二高校が新設され、定時制を分離 |
昭和46年 | 格技場竣工 |
昭和49年 | 宮崎東高校が新設され、通信課程を分離 |
昭和50年 | 理科棟竣工 |
昭和53年 | 創立90周年記念式 |
昭和63年 | 100周年記念会館竣工 創立100周年記念式 |
平成元年 | 文科情報科新設 |
平成4年 | 家政科の募集停止 |
平成7年 | 65分授業開始 |
平成10年 | 110周年記念式 |
全校生徒の襟元と胸と制帽に輝く校章は、昭和23年大宮高等学校誕生の年に生徒や父兄から募って、当時一年生だった、梶秀敏君の図案が採用されたものである。校章は竹の葉と雪の結晶(高の字を取り巻く六角形)と光(桜の花びらではない)で構成されている。竹には「若竹の如くすくすく伸び
よ」と言う願いがこめてある。雪は、晋の孫康が雪を積み、その明かりで読書したという故事から採ったもので、「たゆまざる勉学」を意味とし、光は「開く校風を輝かしめよう」と言う呼びかけである。
男子の制帽の三本の白線は、断然三本にしようという生徒側の意見で、最高自治委員会の渡辺綱纜委員長が自治会の席で、「我々は学園に自由と平和と正義の三つの精神を打ち立てなければならない。三本の白線はその三精神を象徴するものである」と熱をこめて演説し、満場一致で決められたものである。
特に暑かった今年の夏休み、作品の一つ一つまで意気込みが感じられた弦月祭。ダイナミックに聞かせてくれた合唱コンクール。自分達の手で作り上げることの喜びを知った体育大会。これらすべてが僕ら後輩にとって感激の連続でした。そして何より印象深いのは、大学入試に追い込みをかける先輩達の姿です。「やるときにはやる」という姿に強く感動を覚えます。
大宮高校には「自主自律」という校風が受け継がれてきています。これは「勝手きままにふるまう」「自由放任」というのではありません。僕らに求められている事は、自由の中で各自が「責任」と「自覚」そして「誇り」を持った行動ができることです。生徒会や部活動そして学習への真摯な姿勢のなか
に、僕は「自主自律」が脈打っていると思います。(2000年大宮高校学校案内パンフレットより在校生の言葉)