「自分史雑感」杉谷昭人
私事になるが、このたび「詩の海 詩の森」と題する本を刊行した。3年前に、地元の宮崎日日新聞に連載した同題の自分史に少々加筆した、300ページほどのものである。
自分史をきちんと書くには、まずわが家のルーツを知らねばならない。祖父母、父母の生きてきた道くらいは、正確に調べておきたい。それから自分の体験を述べるときには、その時代の社会や世界の状況を、かならず書きこんでおきたい。有名人の自分史でも、さっぱり面白くないものがあるのは、そこから世の中の動きというか時代の息づかいがほとんど伝わってこないからである。同行の者、みな「うーん」と声をあげてしまった。日本なら、即日クビにちがいない。しかし、それがお国柄というか、文化のちがいというものなのだろうか。憎めない話である。
私の曽祖父は、岡(竹田)藩の右筆だったが、明治18年に設置された宮崎県尋常師範学校の書道教師となっている。明治維新という時代が、にわかに身近に感じられてくる。
祖父の名前は、明治21年創立の、宮崎中学校第1期入学生名簿にのっている。しかし、卒業生名簿にはその名前はない。そのころ熊本市に開校された逓信省の熊本通信講習所に入りなおして、そのあと八重山郵便局に赴任しているから、琉球処分後の現地ではかなり苦労もしたらしい。
宮中30回卒の父、杉谷繁は、東京外語英語科に進み、教員生活最後の8年間を母校大宮で過ごすことができたから、まあ幸せな一生だったと思うが、宮中入学以前は、東京に丁稚奉公に行かされたり、敗戦後には引き揚げ体験ありで、やはり時代の波にもまれながら生きてきたと言ってよいだろう。そして現在の私がいる。
私の本は、自分史という形ではあるが、その中心テーマは「言葉の力」で統一したつもりである。なぜなら、これこそ私たちがこの世を生き抜いていくうえでもっとも大切な力であり、父から受けついだ最大の遺産もまた「言葉の力」だと信じているからである。
自分の来し方はなつかしいものであり、すべての人にとって書き残しておきたいテーマにちがいない。しかし、なつかしさのなかに溺れてしまっていては、ひとりよがりになってしまう。絶えず現在に立ちかえって、現代の課題に立ち向かう姿勢あってこそ、自分史ははじめて意味あるものになってくるのである。
杉谷 昭人
1935年、朝鮮半島生まれ。敗戦後、宮崎市に引揚げ。宮崎大宮高校、宮崎大学学芸学部卒。 高校在学中より詩作をはじめ、神戸雄一、谷村博武、渡辺修三らに師事。 1958年、本多利通らと詩誌「白鯨」「赤道」に拠る。 1991年、第5詩集「人間の生活」にて第41回H氏賞受賞 2008年、第9詩集「霊山」にて第36回壷井繁治賞受賞 2010年、詩「広すぎる食卓」にて2010東京詩祭賞受賞 1993年、宮崎県文化賞(芸術部門)受賞 1997年、詩論集「詩の起源」にて第7回宮日出版文化賞受賞 現在、鉱脈社にて書籍の編集に当たる。宮崎日日新聞にて文芸月評「紡がれることば」執筆