「学校前の並木道」杉谷昭人

「学校前の並木道」杉谷昭人

 一の鳥居から始まる参道のナギの並木が幾分明るく感じられるようになると、もう3月である。実際に黄白色の花が開くのは早くても4月中旬ころのことだから、そう明るいはずもないのだが、宮崎大宮高校で学んだ私たちにとっては、2月から3月にかけての、あの並木下を通って校門に至る間の雰囲気は、そのまま自分の青春時代の夢や希望と重なる。

 もっとも私たち6期生の場合、高校入学前年の昭和25年に朝鮮戦争が勃発して、中学校の先生方の力説される「戦争のない世界」「平和な日本」などへの不安や疑念をそれなりに感じながらの高校入学だったので、あの春のナギの並木が一段と明るく、やさしく感じられたのかもしれない。年に一度の同期会になると決まって登校下校時の話になり、この並木が話題に出てくるから不思議である。夢も希望も不安も、何もかもごちゃまぜにして、あの並木は私たちの未来そのものだったのだろう。

 しかし、80歳も近くなってくると、自分のこれまでを「人生の並木道」なんてたとえてみても、後悔すること、反省することばかりである。いや、もう反省しても間に合わないことばかりだ。そうであれば、間に合わないことは止めにして、少しでも夢を見た方がいい。

 道の話題で言えば、3月21日、東九州自動車道の蒲江―佐伯間がつながって、ようやく宮崎から大分・別府まで一本道で行けるようになったということになろうか。大都会の利便性に比べれば「それがどうした?」くらいのことかもしれないが、宮崎に住む私たちから見れば、そこから見えてくる可能性は途方もなく大きい。そう思わせてくれる何かがある。それが一本の道の持つ魔力なのではあるまいか。

 高校3年の時の女子のクラスメートに、当時としては珍しくもけしからぬことだが、手鏡をかばんに入れている人がいた。その手鏡の裏には小さなナギの葉が入れてあるという。この俗習は「ナギの葉は切れにくいため、縁が切れず、会いたい人の姿が鏡の上に映る」という言いならわしによる。もっとも私がそのような意味を知ったのは、ずっと後になってからのことである。

 彼女は高校卒業後、間もなく同窓生と結婚したが、30歳そこらで亡くなってしまった。思うどおりにならないのが人生である。80歳が目前ともなれば、もう少しは日々への感謝を厚く生きねばならないのであろう。反省しきりのこのごろである。

杉谷 昭人

1935年、朝鮮半島生まれ。敗戦後、宮崎市に引揚げ。宮崎大宮高校、宮崎大学学芸学部卒。
高校在学中より詩作をはじめ、神戸雄一、谷村博武、渡辺修三らに師事。
1958年、本多利通らと詩誌「白鯨」「赤道」に拠る。
1991年、第5詩集「人間の生活」にて第41回H氏賞受賞
2008年、第9詩集「霊山」にて第36回壷井繁治賞受賞
2010年、詩「広すぎる食卓」にて2010東京詩祭賞受賞
2014年 第10詩集「農場」にて第16回小野十三郎賞受賞

1993年、宮崎県文化賞(芸術部門)受賞
1997年、詩論集「詩の起源」にて第7回宮日出版文化賞受賞
現在、鉱脈社にて書籍の編集に当たる。宮崎日日新聞にて文芸月評「紡がれることば」執筆