「後藤賢三郎先生を偲んで」青木賢児
NHKスペシャル番組で、「明治の群像~海に火輪を」という江藤淳氏原作のドキュメンタリー・ドラマを制作しているとき、江藤さんから「青木さんは私と同じ年に東大受験をしたらしいけど、数学の微分積分の問題で糸巻きをほどく問題があったのを覚えていますか?」といわれて、「いわれれば、かすかに覚えていますが」とこたえたら、
「僕はあれができなくて、受験に失敗したんだ」と言われた。それにしても、かなり昔のことを江藤さんはよく覚えていて、「あれさえ出来ていれば」としきりに悔しがっておられたのを記憶しています。
私は浪人している間に、後藤賢三郎先生に補習を見ていただいていて、それに似た問題を教えていただいた記憶がありました。そのおかげで三度目の東大受験に受かったわけで、江藤さんとの会話であらためて恩師後藤賢三郎先生の記憶を新たにしました。
それからさらに10年ほどたってNHKの理事に就任したとき、後藤先生から突然電話があり、「私はいまNHKの九州ブロックの番組審議委員をしているが、暇を見つけて宮崎に来ないか」とのお誘いを受け、すぐに宮崎に飛んでくると宮大農学部跡地の工事現場に案内され、巨大な鉄骨が林立する大工事に驚いたのを記憶しています。
「ここに、コンサートホールができる」と、ひとしきり宮崎県置県百年の大事業を説明して下さいました。それから6年ほどたった頃、私はNHK交響楽団の理事長と兼務で宮崎県立芸術劇場の館長に就任していました。
振り返ってみると、私の人生は要所要所で後藤先生に導かれてきたように思います。
そして今年、宮崎国際音楽祭は20周年となり、宮崎県の壮大な文化振興の大事業が節目の年を迎えた時、4月6日に後藤賢三郎先生は92歳の長寿を全うされました。私にとって、生涯を導いて下さったかけがえのない恩師でした。
青木 賢児
(宮崎県立芸術劇場名誉館長、大宮高校同窓会会長)
1932年宮崎市生まれ、1951年宮崎大宮高校卒
1957年東京大学仏文学科卒、NHK入局、1982年NHK報道番組部長
1991年NHK専務理事(放送総局長)、NHK交響楽団理事長
1996年宮崎県立芸術劇場理事長兼館長、宮崎国際音楽祭総監督
受賞歴、日本新聞協会賞、宮崎日日新聞特別賞、宮崎県文化賞、新日鉄音楽賞特別賞