平成27年1月14日に皇居・宮殿にて開催された新春恒例「歌会始(うたかいはじめ)の儀」に、森中香織さん(28回卒)が出席され、短歌が披露されました。
また、同じ28回卒の上智大学学長の早下隆士さんも陪聴人として参加されました。
お二人にインタビューを行いましたので、以下をご覧下さい。
森中香織さんインタビュー内容
Q:短歌はいつから詠み始められたのですか?
A:結婚して埼玉に住み、だれも知らない中で子育てを始めました。なにか自己表現の手段を持たなくてはと思い探し始めた頃でした。たまたま参加した大学の地区の同窓会でお隣に座られた40年ほど先輩にお声をかけて戴き、「指導致しますからなさいませんか?」とのお誘いに平成元年に短歌結社明日香に所属致しました。
Q:今回の入選作はどのような短歌で、どのような思いが込められているのでしょうか?
2002年に亡くなった父は、晩年感慨深げに「豊かな世の中になったものだ」と良く言っておりました。我々は生まれた時から平和で、豊かさを当然のように享受して成長した世代です。わざわざ豊かさなどの言葉に出さなくてもそれは当然のようにあるものでした。そういうこともあり、父がそのようにつぶやいていた時、私自身は子育ての真っ最中でその言葉をじっくり聴く余裕はありませんでした。たまたま7月に帰省したおり、玄関の本棚の百科事典が目に留まりました。この本棚に百科事典が揃った時のなんとも感慨深げな父の表情をふと思い出し、この歌を作りました。
「本棚に百科事典の揃ひし日に父の戦後は不意に終はりぬ」
Q:歌会始の状況及び天皇、皇后両陛下の前で短歌を披露された感想をお聞かせください。
A:朝、陪聴人に選ばれました上智大学の早下氏にお迎えにきていただき、晴れ晴れとした気持ちで参内しました。宮殿に移る前にテレビカメラがありますから、一点を集中してみていて下さいね、と式部職の方に言われました。ここにいることは実際の事なのか、どうなのか。ずっとそのような気持ちでした。自分の歌を披露されている時間は、父への感謝の気持ちをずっと胸の内に繰り返していました。
Q:最後に、弦月同窓会生に一言、お願い致します。
A:高校を卒業後は、それぞれの人生に邁進し、ゆっくり会うと言う事はあまりありませんでした。しかし還暦も近くなり、またそれぞれが人生において果たす役割の最終コーナーにさしかかった事もあり、特にわれわれの世代はよく会っています。その場で話す事は、何時も同じ事、会うたびに飽きもせずに同じ話しの繰り返し。そうして笑いを共有し、明日への活力としています。とくに男性は社会において、重鎮であるがゆえに気を使わない集まりはリラックスするようです。今は、世代を超えてのあつまりもあります。久しぶりにせんパーイ!!などと言葉をかけられるとくすぐったい気持ちにもなります。横のつながり、縦のつながり、どれも大切な宝物です。
早下隆士さんインタビュー内容
Q:平成27年歌会始の儀を陪聴されたご感想をお願い致します。
A:私は日本私立大学連盟の常任理事も務めており、私立大学を代表して今回の歌会始の儀の陪聴人に選んで頂きました。16名の常任理事の中から、持ち回りで選ばれましたので、大変有り難く思っています。おそらく今回が、最初で最後の経験になるでしょう。上智大学を卒業したベナン共和国のゾマホン駐日大使も陪聴人で一緒に参加しましたが、各国の大使も参加希望者が多く、なかなか選ばれないとのことでした。
Q:今年の歌会始の儀には、弦月同窓会員であり、早下さんと同じ28回卒で同級生の森中香織さんの短歌が披露されました。同級生である森中さんが歌を披露された感想をお願い致します。
A:森中さんの短歌は、21,000件の応募の中の10首として選ばれたもので、高校の同級生として歌会始に一緒に参加できることを、本当に嬉しく思いました。奇跡のような偶然ですね。もちろん歌会始の当日は、上智大学でチャーターした車で、森中さんを迎えに行き、しっかりエスコートさせて頂きました。場内は崇高な雰囲気で、天皇、皇后様や皇室の皆様方の前で詠まれる短歌は、全てが洗練された内容で感動しました。同級生と言うこともあるかもしれませんが、森中さんの短歌は本当に素晴らしく、何よりも心に響きました。
Q:最後に、弦月同窓会生に一言、お願い致します。
A:宮崎大宮高校の仲間の繋がりは、本当に素晴らしいです。東京でも、宮崎でも、いつも皆で集まって「わいわいがやがや」を楽しんでいます。今回も森中さんの短歌選出で、大いに盛り上がりました。仕事を離れて付き合える仲間の輪は、とても大切です。同学年の横糸だけでなく、先輩、後輩の縦糸もしっかり結んで、弦月同窓会の輪を皆で広げて行きましょう!