この度、宮崎県と宮崎労働局の主催による「平成27年度宮崎県ふるさと就職説明会」が開催されます。対象者は、Uターン・Iターン就職を希望する一般求職者及び平成28年3月大学等卒業予定者となっております。開催場所は、東京、大阪、福岡の3会場で、時期は平成27年4月です。
詳細は、下記HP及び添付のPDFをご覧下さい。
「平成27年度宮崎県ふるさと就職説明会」ページは以下からご覧いただけます。
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/rodoseisaku/shigoto/rodo/page00232.html
PDFファイルは以下からご覧いただけます。
H27宮崎県ふるさと就職説明会パンフレット表
H27宮崎県ふるさと就職説明会パンフレット裏
弦月同窓会員で興味のある方は、是非ご参加ください。
平成27年1月14日に皇居・宮殿にて開催された新春恒例「歌会始(うたかいはじめ)の儀」に、森中香織さん(28回卒)が出席され、短歌が披露されました。
また、同じ28回卒の上智大学学長の早下隆士さんも陪聴人として参加されました。
お二人にインタビューを行いましたので、以下をご覧下さい。
森中香織さんインタビュー内容
Q:短歌はいつから詠み始められたのですか?
A:結婚して埼玉に住み、だれも知らない中で子育てを始めました。なにか自己表現の手段を持たなくてはと思い探し始めた頃でした。たまたま参加した大学の地区の同窓会でお隣に座られた40年ほど先輩にお声をかけて戴き、「指導致しますからなさいませんか?」とのお誘いに平成元年に短歌結社明日香に所属致しました。
Q:今回の入選作はどのような短歌で、どのような思いが込められているのでしょうか?
2002年に亡くなった父は、晩年感慨深げに「豊かな世の中になったものだ」と良く言っておりました。我々は生まれた時から平和で、豊かさを当然のように享受して成長した世代です。わざわざ豊かさなどの言葉に出さなくてもそれは当然のようにあるものでした。そういうこともあり、父がそのようにつぶやいていた時、私自身は子育ての真っ最中でその言葉をじっくり聴く余裕はありませんでした。たまたま7月に帰省したおり、玄関の本棚の百科事典が目に留まりました。この本棚に百科事典が揃った時のなんとも感慨深げな父の表情をふと思い出し、この歌を作りました。
「本棚に百科事典の揃ひし日に父の戦後は不意に終はりぬ」
Q:歌会始の状況及び天皇、皇后両陛下の前で短歌を披露された感想をお聞かせください。
A:朝、陪聴人に選ばれました上智大学の早下氏にお迎えにきていただき、晴れ晴れとした気持ちで参内しました。宮殿に移る前にテレビカメラがありますから、一点を集中してみていて下さいね、と式部職の方に言われました。ここにいることは実際の事なのか、どうなのか。ずっとそのような気持ちでした。自分の歌を披露されている時間は、父への感謝の気持ちをずっと胸の内に繰り返していました。
Q:最後に、弦月同窓会生に一言、お願い致します。
A:高校を卒業後は、それぞれの人生に邁進し、ゆっくり会うと言う事はあまりありませんでした。しかし還暦も近くなり、またそれぞれが人生において果たす役割の最終コーナーにさしかかった事もあり、特にわれわれの世代はよく会っています。その場で話す事は、何時も同じ事、会うたびに飽きもせずに同じ話しの繰り返し。そうして笑いを共有し、明日への活力としています。とくに男性は社会において、重鎮であるがゆえに気を使わない集まりはリラックスするようです。今は、世代を超えてのあつまりもあります。久しぶりにせんパーイ!!などと言葉をかけられるとくすぐったい気持ちにもなります。横のつながり、縦のつながり、どれも大切な宝物です。
早下隆士さんインタビュー内容
Q:平成27年歌会始の儀を陪聴されたご感想をお願い致します。
A:私は日本私立大学連盟の常任理事も務めており、私立大学を代表して今回の歌会始の儀の陪聴人に選んで頂きました。16名の常任理事の中から、持ち回りで選ばれましたので、大変有り難く思っています。おそらく今回が、最初で最後の経験になるでしょう。上智大学を卒業したベナン共和国のゾマホン駐日大使も陪聴人で一緒に参加しましたが、各国の大使も参加希望者が多く、なかなか選ばれないとのことでした。
Q:今年の歌会始の儀には、弦月同窓会員であり、早下さんと同じ28回卒で同級生の森中香織さんの短歌が披露されました。同級生である森中さんが歌を披露された感想をお願い致します。
A:森中さんの短歌は、21,000件の応募の中の10首として選ばれたもので、高校の同級生として歌会始に一緒に参加できることを、本当に嬉しく思いました。奇跡のような偶然ですね。もちろん歌会始の当日は、上智大学でチャーターした車で、森中さんを迎えに行き、しっかりエスコートさせて頂きました。場内は崇高な雰囲気で、天皇、皇后様や皇室の皆様方の前で詠まれる短歌は、全てが洗練された内容で感動しました。同級生と言うこともあるかもしれませんが、森中さんの短歌は本当に素晴らしく、何よりも心に響きました。
Q:最後に、弦月同窓会生に一言、お願い致します。
A:宮崎大宮高校の仲間の繋がりは、本当に素晴らしいです。東京でも、宮崎でも、いつも皆で集まって「わいわいがやがや」を楽しんでいます。今回も森中さんの短歌選出で、大いに盛り上がりました。仕事を離れて付き合える仲間の輪は、とても大切です。同学年の横糸だけでなく、先輩、後輩の縦糸もしっかり結んで、弦月同窓会の輪を皆で広げて行きましょう!
最前列、向かって左から2番目が早下氏、同じく左から3番目が森中氏
第4回卒の東京弦月会会長 重久吉弘さん の記事が、「海外開拓ささげた人生 国の発展支え、81歳飛び回る」と題して
2/1より日本経済新聞より連載がスタートしました。
電子版は以下の日本経済新聞のWEBサイトより閲覧できます。
※会員ログインが必要なようです。
http://www.nikkei.com/search/site/?searchKeyword=%E5%B1%A5%E6%AD%B4%E6%9B%B8
平成26年11月21日に開催されました「創立126周年弦月同窓会総会・懇親会」の際にHP委員会では、参加者にアンケートをおこないました。
弦月同窓会総会・懇親会のアンケートは、以前にあったかもしれませんが、
HP掲載として記念すべき第1回となります。
では、参加された同窓生の声をご覧ください。
————————————————————————————————
氏名:桑畑 佳興子さん(旧姓:村上)
卒回:大宮8回卒
Q1:高校時代の修学旅行や体育祭、弦月祭等で1番思い出に残っていることを教えてください。
A1:修学旅行も行ってないし、運動会は楽しい行事でした。夜間の学生さんはピンクのハチマキ。マンモス学年でしたから生徒数がすごく、赤白青だけではありませんでした。
Q2:今だから語れる校則違反や悪いことをしたことを教えてください。
A2:大変真面目な高校生でしたから違反なし。
Q3:高校時代に1番思い出深い場所はどこですか?またのその理由を教えてください。
A3:弦月湖畔で当時流行っていたジャズを歌ってました。パティーペイジが大好きでした。
Q4:卒業後に達成、経験した偉いこと、珍しいことなどを教えてください。
A4:全くありません。実に平々凡々な人生。今年で喜寿を迎えました。
————————————————————————————————
氏名:谷口 善雅さん
卒回:大宮28回卒
Q1:高校時代の修学旅行や体育祭、弦月祭等で1番思い出に残っていることを教えてください。
A1:私たちの時代は受験校ということで修学旅行はありませんでした。その代わり、1年生のときに県南の廃校になった小学校でキャンプがありました。海に面した学校で海水浴もありましたが、私はボートに乗って、遊泳中におぼれる生徒がいないか監視する役でした。皆が楽しそうに泳いでいるのに、炎天下で海にも入れずにボートを漕がなくてはならず、水も飲めずに干物になりそうでした。
このときのキャンプでは足らずに、2年生のときに仲のよかった仲間で夏休みにキャンプに行きました。(確か蜂の巣キャンプ場だったような・・・)1年生のときの担任の先生にお願いして引率していただきましたが、成人が一人では不安だとおっしゃるので、ちょうど教育実習におみえになっていた大学生の先輩にお願いしてお付き合いいただきました。岩場から川へ飛び込んだり、夜遅くまで騒いでいて朝起きられず、先生に朝ご飯を(飯盒で)炊いていただいたりした思い出があります。
弦月祭ではクラス展示があり、夜遅くまで残って準備をしました。翌日夜明けとともに登校してまた準備、女子が作ってきてくれたおにぎりがとても美味しかったのを覚えています。今まで食べた中で一番美味しいおにぎりでした。いまの弦月祭にはクラス展示はないようですが、学級の団結を図るにはよい企画だったと思います。「受験は団体戦」という意味では力を発揮します。クラス展示を復活させてみてはどうでしょうか?
Q2:今だから語れる校則違反や悪いことをしたことを教えてください。
A2:私は真面目な生徒だったので、校則違反や悪いことは一つもいたしておりません???
私たちのころも制帽は着用してもしなくてもよかったのですが、私は白いラインが三本入った制帽を着用して毎日登校しておりました。
当時は朝課外は全くなく確か8:15着席でしたが、ギリギリまで寝ていて吉村町の自宅を8:00過ぎに自転車で出発、8:15に着席しているので、神業と言われていました。
Q3:高校時代に1番思い出深い場所はどこですか?またのその理由を教えてください。
A3:皆さんと同じくそれはやはり「朝飛食堂」さんでしょう。今も岡持ちを下げて学校に出前にお越しになるのをお見かけいたしますが、あの頃は若いお兄さんとお姉さんで、ずいぶんお世話になりました。「大阪屋」さんにも課外の後にソフトクリームや関東煮をよく食べに行ったのを覚えています。
Q4:卒業後に達成、経験した偉いこと、珍しいことなどを教えてください。
A4:私たち28回生は、100周年のときの弦月同窓会の実行委員です(ちょうど30歳)。私は勤務の関係でいたブラジル・サンパウロから宮崎に帰ってきて間もなくで宮崎の様子もあまりわかりませんでしたが、同期で揃いのトレーナーを作って記念式典、懇親会のスタッフとして奔走しました。
それから20年後、息子が大宮3年生で120周年のときのPTA会長(第26代)を務めました。実は私の親父は90周年のときのPTA会長(第12代)を務めたようです。谷口家には大宮の節目に役が回ってくるようです。
————————————————————————————————
氏名:西久保 竜蔵さん
卒回:大宮43回卒
Q1:高校時代の修学旅行や体育祭、弦月祭等で1番思い出に残っていることを教えてください。
A1:弦月祭。コミックバンドでステージに立った。
Q2:今だから語れる校則違反や悪いことをしたことを教えてください。
A2:悪いことをした意識は無いけど、けっこうやりたい放題だった。
Q3:高校時代に1番思い出深い場所はどこですか?またのその理由を教えてください。
A3:神宮の森。
Q4:卒業後に達成、経験した偉いこと、珍しいことなどを教えてください。
A4:企業設立、買収、M&A。
※向かって左が西久保さん
————————————————————————————————
氏名:河野 知佳さん
卒回:大宮53回卒
Q1:高校時代の修学旅行や体育祭、弦月祭等で1番思い出に残っていることを教えてください。
A1:徒走の時に転んで、血を流しながら走って、本部テントにいるおばちゃん達に応援してもらった。
Q2:今だから語れる校則違反や悪いことをしたことを教えてください。
A2:校則違反という意識はなかったけど、入学式の時に気合を入れて(おしゃれして)、赤い靴と赤いカバンと赤いチャリで登校した。
Q3:高校時代に1番思い出深い場所はどこですか?またのその理由を教えてください。
A3:みかんやのあげタコ焼きを足繁く通って食べてました。
Q4:卒業後に達成、経験した偉いこと、珍しいことなどを教えてください。
A4:特にありません。
会員の皆様におかれましては、平成26年11月21日に開催されました創立126周年弦月同窓会総会・懇親会に多数のご参加を賜り、誠にありがとうございました。
実行委員会として総会・懇親会の企画運営に携わる中で、多くの先輩方と関わらせて頂き、改めて母校の歴史と伝統を実感致しました。
総会・懇親会当日は、実行委員が不慣れなこともあり,参加された皆様に多々ご迷惑をお掛けし、お叱りの言葉も頂戴致しました。
この場を借りてお詫び申し上げますとともに、この得難い経験を自らの人生の糧と致したいと存じます。
この度の総会・懇親会は、弦月同窓会理事及び運営委員会の皆様はもとより、協賛頂きました企業様ほか関係各所の多大なる御協力により、企画運営をすることができました。実行委員会を代表して,心より御礼申し上げます。
そして、今回の総会・懇親会が、参加された皆様にとって、母校と同窓生との絆を再確認する機会となりましたらば,実行委員長として望外の喜びであります。
宮崎大宮高校、万歳。
創立126周年弦月同窓会実行委員会 実行委員長 牟田圭佑