平成19年度 第60回 弦月同窓会入会式

平成19年度 第60回 弦月同窓会入会式

弦月同窓会長の渡辺綱纜でございます。

昭和24年、第1回の卒業です。
弦月同窓会を代表いたしまして、一言ご挨拶を申し上げます。3年生の皆さん、いよいよ明日は卒業式ですね。1日早くお祝いの言葉を申し上げます。
ご卒業おめでとうございます。弦月同窓会は心をこめて皆様の卒業をお祝いすると共に、明日からの同窓会への入会を歓迎致します。大宮高校は、先ほど立派な垂れ幕が、校舎の正面に掛かっておりましたけれども、今年創立120周年を迎えました。今月の1日が創立記念日、120周年の創立記念日です。
その日、私どもは、今皆様にご挨拶いたしました同窓会の会長、副会長揃って校長室に参りまして、皆さんの生徒会の代表の方も出席して頂きまして、ささやかではありますけれども、同窓会から120周年の記念事業費として、120周年にちなみまして120万円を寄贈申し上げました。と同時に、これはすでに走っておりますけれども、部活支援のための専用バス、残念ながら新車でなく中古車ですけれども、これも120周年を記念して同窓会から寄贈させていてだきました。その、栄えある120周年の年にですね、皆さん方は卒業されるわけでありまして、一生皆さんのすばらしい思い出になるんではないかと、そう思います。卒業生の数も皆さん385名を加えて、45,717名になりました。全国に公立、私立あわせて約5,400校の高校がありますが、120年の歴史をもつ学校というのは5,400校の内わずか139校であります。そのうちの1校が大宮高校ということになります。また、ただ今申し上げましたが、卒業生の数が明日で45,717名になるわけでありますけれども、4万人以上の卒業生をもっている高校というのは、5,400校の内わずか15校しかありません。大宮高校は、その15校の内の6番目でありますから、全国で6番目の大きなマンモス同窓会と、こういうことになります。私どもはこのような歴史と伝統に輝く母校で学んだことを、今更のように誇らしく思わずにはおられません。
ところで話は変わりますが、最近全国的に宮崎が有名になっております。大げさに言えば、宮崎ブ-ムと言ってもいいでしょう。これは皆さんもご承知のように、新しい知事、東国原知事になって、知事独特のパフォ-マンスと、そのマスコミ効果・メディア効果によるものではありますが、先日も東京にちょっと用事があって参りましたが、どこに行っても、宮崎のことを話題にされました。大変嬉しく思いました。只一つですね、ある会合に出ましたらですね、不満に思うというか少しばかり憤慨したことがあったんですね。それは何かと言いますと、ある人からこう言われたんですね。「今まで、あまり偉人とか有名人とか出なかった、まあどちらかといったら人材不毛の地であると思っていた宮崎から、よくあんな個性溢れる知事が輩出しましたね。」と。賞めたつもりで言ったんでしょうが、私はちょっとですね、憤慨したわけです。「いや、それはどうでしょうか。人材不毛というのは認識不足ではないですか。宮崎県は決して人材不毛ではありません。歴史的に見ても、偉人をいっぱい出しております。」「あ、そうですか。」と言われますので、こう申し上げました。皆さんは古事記とか日本書紀をお読みになったことがありますか。戦前はよく読んだんですけれども、戦後はですね、日本の神話とか伝説とかがおろそかになっておりますから、読む機会もないかもしれませんが、私はですね、古事記とか日本書紀はこれは日本の大切な神話であり、神話は民族のロマンであると思っていますから、ぜひ目を通してもらいたいんですが、その古事記、日本書紀の話をしまして、その中に出てくる神武天皇、今の皇室の御祖先でありますけれど、第一代の神武天皇は宮崎県の出身ですよ。こう言いました。宮崎市民、宮崎県民は、今でも神武天皇とは申しません。神武さん、神武さんと、さんずけで呼んでおります。そのくらい祖先をですね、大切に親しみをこめて呼んでおりますよ。そう申し上げました。
続いて私が言ったのは、あの安土桃山時代、安土桃山時代といったら豊臣秀吉が威張ってたころですね。その安土桃山時代に日本の宗教使節、少年宗教使節をロ-マに送ったんですが、ロ-マの法王庁にですね、そのときの代表は、これは皆さんもよく知っておられると思いますけれども、若冠12歳の伊東マンショ、西都市都於郡の出身ですね。4年かかって、あのアフリカの岬をまわって小さな帆前船に乗ってですね、僅か12歳の少年が、ヨ-ロッパに渡ってロ-マ法王に謁見して、当時ヨーロッパ中の話題になった。また帰りも4年かかって帰って来た。その伊東マンショも宮崎県の出身であります。また、アメリカのケネディ大統領が世界で一番尊敬する人物はと聞かれた時に、ケネディが、「それは、日本の上杉鷹山公です。」と答えた話はあまりにも有名ですけれども、米沢藩主ですね、上杉鷹山は。この方も、宮崎県は高鍋町の出身であります。江戸時代になりますと安井息軒という大漢学者がおりました。将軍を教えておりました。宮崎郡清武町の出身ですね、安井息軒は。その弟子であった三好退蔵、高鍋町の出身でありますが、この三好退蔵という人がですね、今の日本の裁判所とか検察庁とか、そういう司法制度の基礎を作った人なんですね。日本で最初に。で、後に検事総長になったり、大審院長、大審院長というのは今の最高裁長官、この三好退蔵も宮崎県高鍋町の出身ですよ。私は声を強めて言いました。まだいくらでもおります。あの日露戦争を終結させポ-ツマス条約を締結して、日本をですね、世界の日本にした明治の有名な外交官、外務大臣、小村寿太郎も宮崎県の出身です。日南市飫肥町の生まれです。また日本には脚気という大変苦しい病気があったんですが、その脚気を退治して世にビタミン博士と言われた「病気を診ずして病人を診よ」の言葉で知られる医学博士高木兼寛、これも宮崎市高岡町の出身です。また『白鳥は 哀しからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ』 『幾山河 越えさり行かば 寂しさの 終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく』あの旅の歌人若山牧水も宮崎県の出身であります。延岡市出身ですね。それから、今こそ福祉、福祉と言っているけれども、そういう言葉をあまり使わない時代、あの大正時代にですね、岡山市で2000人以上もの孤児をですよ、孤児を集めてですね、そして養った石井十次という、日本の孤児の父と言われているその人も宮崎県出身、新富町の出身ですね。それから、今は航空の時代、空の時代でありますけれども、日本で最初の民間航空のパイロット後藤勇吉さんは、延岡市の出身であります。戦前ではありますけれども、ベルリンのオリンピック大会でマラソンで世界中をわかせた村社講平選手。宮崎市赤江の出身であります。また、あの太平洋戦争で最後の海軍の連合艦隊司令長官になった小沢治三郎、この人は高鍋町の出身であります。そして戦後は、日銀総裁になった森永貞一郎、小林市の出身ですね。我々の地元宮崎市の出身、観光の父、岩切章太郎、その他、スポ-ツの選手は柔道の井上康生を始め、もう女子ゴルフに至るまで、いくらでも宮崎県出身はおりますよ。こう言いましたら、さすがの江戸っ子達も、そうか、かなり宮崎県には偉人、有名人がおるんだなあと言って納得をいたしておりました。
ただ今、申し上げた名前の中に大宮高校の出身の先輩が3人います。まず1人は村社講平、ベルリンオリンピック大会の花形ですね。それから最後の連合艦隊司令長官小沢治三郎、それと、宮崎県観光の父、岩切章太郎。以上の3人は、大宮高校の出身であります。
岩切章太郎さんの名前が出たところで、今日は卒業生の皆さんに、はなむけの言葉を贈りたいと思いますが、それは岩切章太郎さんの言葉でありますが、実は私は、先ほどもちょっと紹介の中に出ましたけれども、昭和28年に大学を卒業しますとすぐ、宮崎交通に勤務致しまして46年間お世話になりました。その内の32年間、この岩切章太郎という宮崎交通の創立者、そして観光の父に仕えましたけれども、いつも岩切章太郎さんが何かあると私たちに言ってた言葉は『心配するな、工夫せよ』でした。これから皆さんはですね、人生でいろんな困難に立ち向かうことがあります。悩むこともあるでしょう。しかし心配ばかりしていても一歩も進みません。心配する時間があったら、どうしたらよいかということを、前向きに工夫することではないかと思います。私自身の体験を振り返りましても、この『心配するな、工夫せよと』いう言葉のおかげで、どれだけ救われたか数え切れません。この言葉をはなむけの言葉にお贈りしたいと思います。
いよいよ明日は卒業式、皆さんはこれから大学に行かれたり、社会人になったり、全国各地で輝かしい未来を築いて行かれることでありましょう。心からもう一度、ご卒業おめでとうと申し上げますと共に、全国各地で、あるいは世界各国で、たとえ地球の果てに行っても、この大宮高校、120周年の伝統に輝く我が母校大宮高校を、どうか思い出して、それを励みにしていただきたいと思います。大宮高校の卒業生であることを胸に刻んで、正しく、強く、そして明るく生きて下さい。困ったことがあったら、『心配するな、工夫せよ』という言葉を思い出して下さい。どうぞ頑張って下さい。心から皆様の前途を祝福して、弦月同窓会を代表しての、ご入会に対するお祝いの言葉とさせて頂きます。ありがとうございました。

弦月同窓会会長 渡 辺 綱 纜

 category:同窓会関連 2008.03.10(月)

弦月講演会 講師 第11回卒業 綾部正哉先生

平成19年 弦月講演会              平成20年2月16日(土)

講演題 『21世紀の主役としての自覚』      大宮高校体育館
講師 第11回卒業 綾部 正哉 先生

講演会資料より
○「生涯生燃(せいねん)」でありたい。「人間」を(にんげん)と読む以外に
(じんかん)とも読みたい。
○思えば今日まで、よく生きてこられたものだ。「生きている」のでなく
「生かされている」。何度となく死線を越えながら生き続けられた、まさに奇跡。
○高校1年の1ヶ月に及ぶ家出が私の人生の新たな串を作った。
○21世紀の主役は君たち、宮崎県内に羽ばたき、日本のどこかで活躍し、世界中を飛び 回って生きていく。それは間違いない。そのときのための土づくり、元肥を伏せ込んで いる高校時代。決してバラ色だけの人生ではないが、苦しさや悲しさやつらさを乗り越 える知恵を身につけていく。その知恵は、教科書には書いていない、あなたの周りのも の(自然・人間・出来事)との関わりの中で身につけていく。
○誰のものでもない自分の人生を、大宮高校の生徒として、自信と誇りと母校への愛情を 失わず自分の足で歩いてほしい。

2年生約400人が、先生の魅力あふれる講演に熱心に耳を傾けました。

 category:同窓会関連category:高校関連 2008.02.29(金)

平成18年度 第59回 同窓会入会式

平成19年2月28日に同窓会入会式が行われ、渡辺綱纜会長が同窓会入会と卒業の祝辞を述べました。

ただいまご紹介をいただきました弦月同窓会の会長をつとめております渡辺綱纜です。
三年生の皆さん、いよいよ明日は卒業式、一日早くお祝いのことばを申し上げます。御卒業おめでとうございます。そして今日は、弦月同窓会の入会式であります。428名の新しい同窓生、同窓会員をお迎えし、同窓生一同を代表いたしまして、心から御歓迎を申し上げます。
我が母校、大宮高校は1888年、明治21年でありますけれども創立されました。1888年「1888」8が三つですから非常に覚えやすいですね。平成になりまして非常に覚えやすくなったのが、創立何年という数字であります。今年は平成19年ですからこれに百を足しますと、創立119周年とこういうことになります。1888年、明治21年にこの大宮高校の前身であります旧制の宮崎中学校、当時は尋常という言葉が入っておりましたけれども、宮崎尋常中学校として創立されました。校舎はこの場所ではありませんでした。今の宮崎大学の付属小学校、そこが旧制宮中が産声を上げた場所であります。先輩の話を聞きますと、当時は附属小学校の跡の所でありますけれども、校門の横に大きな松の木がていていとして聳えていたそうであります。雲を凌ぐような背の高い大きな松でしたので、生徒達は「凌雲松」雲を凌ぐ松と名付けて親しんいたそうでありますが、学校に朝行きますとその松の木の下に立ち止まって、その松を見上げて大きく夢を広げていたと話を聞いたことがあります。
大正8年に放火事件がありました。その当時は事件が宮崎は非常に少なくて大変な騒ぎになったそうでありますが、全焼したということを聞いております。これが大正8年、そしてその年にこちらの方に仮校舎、すぐ新校舎を建てて移ってきました。もう既に大正8年でありますから88年経過しているわけであります。この場所で、宮崎中学校が誕生しましてから9年遅れまして、明治30年に宮崎県立第一宮崎高等女学校が創立されました。これが今の広島通り、ちょうどNTTがありますですね。あそこが昔の女学校の校舎の跡であります。そして、戦後、昭和23年にちょうど戦後3年目でありますけれども学制改革がおこなわれまして、今の「6・3・3・4」の新しい学制ができまして、宮崎中学校と第一宮崎高等女学校が合併いたしまして新制宮崎大宮高校が誕生したわけです。先程御紹介がありましたとおり、私はその第1回の卒業生であります。
最初は、宮崎商業学校、宮崎女子商業学校どちらも県立でありますが、四校合併致しましたので、商業科がございました。しかし、その後独立して今の宮商になっております。また、夜間部や定時制もございまして、これも後に独立して今の東高校になっております。私どもが第1回の卒業と申しまし上げましたけれども、その時の在校生は、2,700人でした。校舎もここだけでは足りずに女学校が今の西中の所にございましたので、敗戦後やはりこれも焼けまして新校舎をそこに建てたんですが、そこを南校舎と呼んでんでおりました。こちらを北校舎と言いまして北校舎と南校舎で授業を致しておりました。この弦月同窓会の名前は戦後新制高校になってから付けられた名前でありますけれども、弦月という名前の由来は御承知の方も多いか知れませんけれども、ちょうど今の東高校そこに大きな池がありました。この池が三日月形でありましたので、弦月湖と名付けられておりました。当時を知る私達にとっては、本当に懐かしい池であります。一日に何度も池の畔に立ってよく休んだものであります。春になりますとちょっと小高い土手がありましたけれども、これに青々とした草が芽生えまして、レンゲとかスミレとかタンポポとか色んな花がいっぱい咲いておりました。夏は、ホテイソウというのですか水草が池の全体に繁りました。そしてよく昼休みには釣り竿を持って行って釣りをしたものであります。鮒や鯰が釣れました。また、雨が降りますとオタマジャクシから孵ったばかりのガマの子だと思いますが、黒い小さなカエルが運動場を真っ黒にするほど上陸してきました。秋になりますと土手の上には一列に櫨の木が並んでおりましたけれども、これが真っ赤に紅葉いたしまして、旧制高校の校歌にありましたが「紅燃ゆる丘の上」という文句がありましたが、そういう風景でありました。 また、冬はシベリアから鴨がたくさん飛んできて、日向ぼっこをしながら、私達はよく鴨の群を眺めたものであります。そのような非常に在校生にとって懐かしい弦月湖の名前、弦月を取りまして私ども大宮高校の同窓会は弦月同窓会と名付けて発足したわけであります。
母校も先程申し上げましたように、平成20年はいよいよ創立120周年の年を迎えます。一口に120周年と申しますけれども全国に公立、私立合わせて高等学校は5,400何校かございますけれども、120年以上の歴史を持つ高等学校は僅かその内139校しかございません。また、卒業生の数も皆様方428名を迎えて、ちょうど45,332名に明日はなります。卒業生の数が、これまた、40,000人以上の卒業生を持ってる学校は5,400何校の内、僅か15校しかありません。わが宮崎大宮高校は、その6番目にあります。だから同窓会としては非常に人数の多いマンモス同窓会であります。10周年ごとにずっと記念行事をやっております。この前は110周年でした。実は私は70周年の時にこの弦月同窓会のお仕事を手伝うようになりまして、私は70周年からずっと記念行事に出ておりますが、やはり記念行事の中で一番思い出になるというか記念になるという行事はこの母校のこの場所で開かれます記念講演会であります。卒業生の中からその時一番話を聞きたいなと思う人を選んでお話を伺ってまいりました。私が初めて聞いたのは70周年の時でしたけれども、当時東京学芸大学の村上学長先生、この方が「海と日本」という題でお話になったのをよく覚えております。その時は二人されまして、もう一人は東京大学の教授で日高孝次と言う先生で、教授でしたけれども日高パーティというのが当時ありまして、非常に有名なマスコミにもてはやされた先生であります。この方が「私の学生生活を省みて」という題でお話されたことをよく記憶いたしております。80周年の時には、ちょうど万博が行われた年でありまして、大阪万博でありますが、その大阪万博の立て役者でありました大阪市長の中馬 馨さんが講師でありました。「万博と日本」という題でお話になりました。また、90周年の時には宮崎交通の創立者であります岩切章太郎先輩が、ボーイズビーアンビシャス「少年よ大志を抱け」というあの有名なクラーク博士の言葉を演題にして話をされました。100周年の時は高島屋の日高啓社長で、演題は「21世紀は君たちの時代だ」でした。10年前の110周年の時には、私も引っ張りだされまして、私と若山牧水の研究で有名な今宮崎看護大学の教授をしておられる伊藤一彦さん、それに社民党党首をしておられる福島瑞穂さん、三人で母校時代の思い出というテーマでリレーの講演を致しました。
来年は、今、校長先生を始め関係の先生方で候補を選んでいただいておりますけれども、すばらしい先輩が来て話をしてくださる事になっております。どうか、今2年生と1年生の皆さんはその話を聞く事ができると思いますけれども、3年生の皆さんもその時宮崎に居られたならば、是非聞いていただきたいと思います。
最後にもう一度、卒業生の皆さん3年生の皆さんに心から祝福を申し上げたいと思いますが、明日は卒業生、そして、全国各地にあるいは海外に、皆さんは大きく羽ばたいて行かれます。たとえ地球の果てに行っても、どうか我が母校宮崎大宮高校のことをいつも思い出していただきたいと思います。母校を励みにしていただきたいと思います。「自主自律」という校風も思い出していただきたいと思います。
母校大宮高校は、また、弦月同窓会はいつも熱い眼差しで皆様を見つめております。どうか、頑張ってください。
最後に、私が大変尊敬しております先程もお名前を申し上げましたけれども、宮崎交通の創立者であります岩切章太郎さんが、いつも私達に言っていた言葉を、今日は皆様に最後にはなむけの言葉として送って、歓迎の御挨拶にかえたいと思います。その言葉は「心配するな工夫せよ」であります。
以上をもちまして歓迎の御挨拶といたします。ありがとうございました。

弦月同窓会会長 渡 辺 綱 纜

 

 category:同窓会関連 2007.04.25(水)

同窓会会報の発送について

弦月同窓会では3年前から毎年10月に、同窓会会報を全会員に発送しております。会報には次のような記事を掲載しております。

・さまざまな分野で活躍されている同窓生の紹介
・同窓生が集まるお店紹介
・各支部・各学年の同窓会の紹介
・宮崎を遠く離れた会員の皆様へ、宮崎の1年間の主な出来事
・大宮高校の1年間の主な出来事

同窓会会報に掲載する情報がございましたら、事務局までお知らせくださると幸いです。
また、転居などにより住所が不明となり会報をお届けできなくなる方が、毎年千名ほどいらっしゃいます。より多くの同窓生に会報をお送りしたいと考えていますので、会報がお届けされていない方は、ぜひお早めに事務局までご連絡ください。 Peta Dunia .

 category:同窓会関連 2007.04.04(水)
ページ先頭へ